【305】敬語表現⑤二重尊敬,自敬表現,絶対敬語 |
◎二重尊敬◎ |
助動詞【204】「る」「らる」編で |
「る」,「らる」が〔尊敬〕のときは主語から判断するしかないが,「れ」+「給ふ」,「られ」+「給ふ」の「れ」「られ」は〔尊敬〕ではなく,この場合は〔受身〕か〔自発〕である。 |
という記述をしました。
また |
助動詞【205】「す」「さす」「しむ」編で |
「す」,「さす」の識別で,下に尊敬語(「給ふ」「おはします」「まします」「らる」)がないときは〔使役〕でよい。 「す」,「さす」の識別で下に尊敬語(「給ふ」「おはします」「まします」「らる」)があるときは〔使役〕か〔尊敬〕なので文脈判断する。 |
という記述をしました。 |
結論としていうならばこのうち最後のところの
「せ(「す」の連用形),させ(「さす」の連用形),しめ(「しむ」の連用形)」+「給ふ,おはします,まします」 「せ(「す」の未然形),させ(「さす」の未然形),しめ(「しむ」の未然形)」+「らる」 ・・・の部分を文脈判断して〔尊敬〕となる場合を二重尊敬といいます。 この場合敬意の対象(主語)は天皇やそのファミリー,摂関家くらいの家柄の人が相場となります。 |
文法的に理詰めで結論づけると
「せたまふ」,「させたまふ」,「しめたまふ」,「せおはします」,「させおはします」,「しめおはします」,「せまします」,「させまします」,「しめまします」,「せらる」,「させらる」,「しめらる」という12種類の表現は二重尊敬になる場合もある(もちろんならない場合もある)。 ということになるのだけど,実際にでてくるのは 「せたまふ」,「させたまふ」,「しめたまふ」 程度を想定していていいと思われます。 |
あまり大きな声ではいえないけど |
英語の文法→過去書かれた英語を解釈するためと,これから英語をつくるときの道しるべになるもの |
・・・ということなので,いままでありえなかった表現でも文法上正しい表現ならば
今後出現する可能性はあるわけです。 英語じゃないけど脱線ついでに 「記憶にありません」という日本語表現は 1976年に日本中をさわがせたロッキード事件の国会においての証人喚問で某証人が尋問に対して答えたのが始まりだそうです。 またクリントン元米大統領の 「不適切な関係」 も同類といえるでしょう。 |
古文の文法→過去書かれた古文の解釈をするため・・・だけ |
・・・・ということなので,実際にはありえなかった表現でも文法上は存在しうる場合もあるってことですね(笑)。あまり関係ないけど,助動詞の活用表で「○(空欄)」があるのは,ヒマな文法学者が過去の古文をすべて吟味して1回もでてこなかったから「○」なんだそうです(笑)。これから再調査して1回でもでてくればそれが訂正されることなのでしょう。 |
◎自敬表現◎ |
これはたいして難しい話ではありません。
例えばある日記の作者がたまたま天皇のそばにいて,天皇が 「わが言ふことを聞け」とおっしゃったとしましょう。 それを日記に記すときに,正しく表現するならば 帝のたまはく,わが言うことを聞け。 となるんだけど,さすがに天皇がおっしゃったことに「言う」なんて使えないな~なんて考えてしまい, 帝のたまはく,わがのたまふことを聞け と日記には書いておこう!となってしまうわけです。 本来自分の動作を自分で言うとき自分を高める敬語なんて使わないのだけど ついついそんな場合もあるという笑話なのですが さて1000年も後の受験生だとここで困ったことがあります。 敬語は必ず「誰から誰への」敬意であるか吟味するのが受験生の義務(笑)であり 敬語とは必ず「話者から」の敬意であると頭に叩き込まれます。 ・・・・とするとこの場合バカ正直に解釈すると天皇が「のたまふ」と言ったわけだから当然のことながらこの「のたまふ」は「天皇から」の敬意となり,また「誰に対する」といえば「のたまふ」のは天皇自身なのだからこれもまた「天皇への」敬意となり,まとめると |
この「のたまふ」は天皇から天皇への敬意(〔尊敬〕)である |
ということになります。
「自分から自分への敬意」なのだから「自敬表現」とされています。 受験生としてはこのような場合は |
「文法的には天皇から天皇への敬意,でもその奥底にはこの文を書いた人から天皇への隠れた敬意があるんだ!」 |
と理解しておきましょう。 |
◎絶対敬語◎ |
結論から言うと
「奏す」「奏上す」「奏聞す」とくれば必ず天皇に『申し上げる』, 「啓す」とくれば必ず中宮・皇太子に『申し上げる』 となります。 また 「行幸(みゆき)」とくれば必ず天皇の『おでかけ』, 「御幸(みゆき)」とくれば必ず上皇(法皇)の『おでかけ』, 「行啓(みゆき)」とくれば必ず中宮・皇太子の『おでかけ』, 「逆鱗(げきりん)」とくれば必ず天皇の『お怒り』, 「天気(てんき)」とくれば必ず天皇の『ご機嫌』 となります。 このように |
敬意の対象が特に明記されていない場合でも,特定の敬語が用いられている場合その敬意の対象は絶対的に特定されるものを「絶対敬語」といいます。 |
「上皇」とは元天皇のこと。 昔は天皇が死亡しなくても他の者に譲位することは珍しくありませんでした。 ちょっと脱線すると 「上皇」になって再び天皇に返り咲いたツワモノもいて,(孝謙天皇→孝謙上皇→称徳天皇・女性です!), この孝謙上皇時代の天皇は淳仁天皇でしたがこの淳仁天皇は「上皇」になってそのまま淡路島に配流されて「淡路廃帝」なんて汚名を着せられてしまいました。 「上皇」になってそれを不服としてそれが元で大戦争(→保元の乱~平治の乱~平氏の台頭~源氏の巻き返し~鎌倉幕府)になってしまった元天皇(崇徳天皇→崇徳上皇)もいました。 事実上「上皇」といってもいいのになぜか「天皇」のまま隠岐に配流され,その後もまた京都に戻ってきてそのとき即位していた別の天皇を追い出した天皇もいました。(後醍醐天皇,このとき新しく即位して追い出された天皇が光厳天皇で北朝初代天皇とされています), 昔の権力争いも相当なものだったわけです。 「法皇」とは「上皇」になって出家(仏門に入る)した元天皇のこと。 「中宮」とは天皇の妻たちのうち最上位の女性。 当時は中宮・女御・更衣などと一夫多妻が普通でした。「源氏物語」の光源氏は桐壷天皇と桐壷更衣の間にうまれた男子です。 「皇太子」とは天皇の子息で皇位継承予定の者。 |
敬語表現の文法的説明は以上で終了ですが
次回以降で「まぎらわしい表現」について掘り下げてお話をします。 これまでのことは「すべて理解して暗記してあたりまえ」の内容で いわば土台作りです。ここからが本番だと思ってください。 それではご幸運をお祈りします。 |
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